出来ないことは知れば出来るようになる

人生の選択肢は無数にある。よって「出来そうだと思える事」にしがみつく生き方ほど馬鹿げたものはない。目的を限定してどうするのだろう。断言してもよいが、目的には何の制限もないし、その人の出来そうだと考える現実なんてどこにもありはしない。要は簡単なこと。「知らないものはできるはずがない」という、いたってシンプルな事実があるのみだ。だから 知ったら何でもできる。たとえば 建築会社を経営したいなら建築を知ればよい。やり方としては期間を決めて、まずは建設会社へ務める。そして、わかったらすぐにやめて、自らの会社を立ち上げればいい。やる前からやれないなんて判断するのは愚の骨頂だし、非現実的な思考ばかり繰り返していても埒は明かないはずだ。

つまり、知らないことは、その人にとっては すべて非現実なのである。わからなければ、わかる人に尋ねればよいが、そこでもらった答えは 自ら確かめてみた上で経験に変えてこそ知恵となる。意志とか行動とか、ひとつやふたつの業界で名を挙げただけの にわか経営者や専門家と呼ばれる人たちの述べるイメージ詐欺に翻弄されてはならない。人生に投げかけられた問いは たったひとつ! 目的のためにいま何をすべきか?それだけである。条件つきの面白くもない人生などなにゆえ求める必要があるだろう。

世の中は規制だらけ。払拭するには 飛びぬけた実力を身につけるしか術はない。それは 飛びぬけた経験を重ねる事とイコールだ。ゆえに、ある一定の時期で、つねにキャリアはゼロにしていく必要があるだろう。リセットを繰り返してこそ、はじめて包括的な哲学は芽生えてくる。どんな素晴らしい功績を残そうと、それが一物では偏っていることに変わりはない。したがって 人生においての帰納法は多ければ多いほど良い。なぜなら 経済活動という演繹は、その集約された経験によってこそ多様性が増してくるからだ。その多様性が増せば増すほど、ほとんどのものはできるようになるだろう。このような当たり前の事を世間は忘れているような気がしてならない。小さな知識で自由を手に出来るほど 世の中は甘くないのである。