ケインズ経済しか教えられない大学生

昔 ボランティアで関わった 経済および経営学部の大学生たちから「僕たちは授業でケインズ経済学しか教わっていません」と聞いて驚いた。断っておくが この学校はかなり名の知れた 世間では一流といわれる大学である。それなのに こんな非常識がまかり通っている。彼らが将来 社会の中心になると考えただけでゾッとしたし、会話のかみ合わない人物が世間にあふるのも納得できると、少し暗い気分になってしまった。

あまりに偏重しすぎて『現実離れした若者』に何を伝えていったら良いものか?と戸惑ってしまうが、それは私たち 世の団塊世代においても同様であろう。彼らもまた 若者へ伝えられるようなものを何ひとつ持ちあわせてはいないと思われる。少し趣旨は違っても「あるべき論の真っ只中で、人生の大半を過ごしてしまった事」に変わりはないはずだからだ。どちらもある意味 幸せであり、不幸だと思わざるを得ないが、イメージだけの人生で何事もなく過ごしてゆけたなら、それはそれでいいかもしれない。けれど、何かしらのイレギュラーが生じた場合には、両者ともに無力なことに違いはないはずである。

彼らにとっての運や時代とは、ときに理不尽で、ときに甘っちょろいヒューマニズムに彩られているが、本当のありのままの現実とは厳しくも優しくもないし、つねに等身大である。しかし そんな現実は彼らには存在すらしないのだろう。個々によって見え方が異なるのも、その人物の「勘違いの仕方の相違」に則している。「彼らが非現実と称するものが たしかに世間に存在する」以上は、それはまぎれもない現実なのだ。ここを自覚できてこそ、他の出来ることは自分にも出来ると確信できるし、否定するという行為が、ただの好みにしか過ぎないとわかってくるに違いないが、いずれにしろ、消極的でつまらない大人にだけは なってほしくないものである。