教育は義務でも任務でもない

美容・健康・語学学習など あらゆる学びの場において、受講者たちに「学びは任務だ」といった【自身に強制を課す】ような姿勢がよく見受けられるが、もちろん、これは提供する側にも問題があるのだろう。

義務教育以外は「文字通り」義務ではないから、まずはやる気にさせることが先決ではないだろうか。だが行政は社会人教育さえ、いまだに任務としか提唱していないし、教える側にも、資格や大学講師といった肩書きを求めてきた。ゆえに、そういうところの出身者は、たいてい 面白くも何ともない義務的学びを押し付けているのが現状だ。しかし、そんなのは教える側の思い込みである。常識的かつ現実的に考えてみよう。「白衣をまとい、身なりも気にせず」そんな【大学の講師ぜんとした人物】になりたい人など滅多にいないはず。つまり講師たちは そのスタンスによって自ら市場を限定し、的を狭めてしまっているわけだが、そんな義務感から生じる意欲への鼓舞では、よほど権威的もしくは 行政から推奨や保護を受けていないかぎり普及できないに決まっているではないか。要するに、そんなものしかないから、みんな仕方なしに「将来 保護を受けられそうな教育」を妥協して受講しているに過ぎないのである。

学びは論理でも倫理でもない。本来、学びとは、ただ面白いからもっと追求したいと感じ、楽しいからこそ、やらずにはいられないといったもののはずだ。そこに理屈なんて必要ないし、世間の風潮なんて関係ない。もっと自然発生的なはずである。これは 子供の反応を見ればよくわかるだろう。彼らには、楽しい学びか? 面白い探求か?しかないはずだ。それは大人もまったく同じこと。「何事も長続きしない。いくらやっても普及しない」理由はここにある。教育者は もっと ちゃんと人間を理解するべきではないか。あらゆる業態の数ある産業の中でも、教育が最も遅れてしまった原因は、まさにこういった点にこそあると思われる。