心の豊かさを失わない

ひさしぶりに好きな映画「ショーシャンクの空に」を観た。主人公が刑務所内の放送を使い【フィガロの結婚】のレコードを大音響でかける。そして その後、罰として収監された懲罰房から出た際に、食堂にて交される仲間たちとのやり取りが気に入っている。「どうしてあんなことをした?どうせ途中で止められて聞けなくなるだろう」と問われ「音楽は心や頭の中にあるものだ。それは誰にも止められない。何があろうと心の豊かさだけは失ってはならない。」と答えるシーンだ。また「心の豊かさとは何か?」と尋ねられた彼は「それは Hope(希望)だ」とも述べている。

この言葉の意味はとても深い。人生はしがらみと束縛だらけである。私たちはまるで「世間という高い壁で囲まれた刑務所の中で、自由を求めてさまよい歩くプリズナー」のようだ。だからこそ、体の中に流れる音をたんなる「気休めの道具」にしてはならない。心の豊かさとは、自身の中にある音を内側から突き上げてくるほどの情熱に変えてこそ得られるもの。人は その一瞬一瞬においては、つねに弱い存在かもしれない。しかしその反面、長い時間をかけて熟成された意思には、岩をも砕く強さを秘めることもできるはずだ。ゆえに人生へ挫折したり疲れた時に、気休めで溜飲を下げていては何も始まらない。理不尽さを真正面から受け止め、その怒りのベクトルを「希望へと転換」してはじめて強固な意思は生みだされてくるに違いない。

モーガン・フリーマン演じる「刑務所内の調達屋」は、長年 借り出所申請に落ち続けていたが、主人公の脱獄を期に「申請の是非を下す審査員たちだけでなく、刑務所そのものに媚びていたから道が開けなかった」ことを自覚する。そして「媚びる」のをやめたとき申請はとおり、晴れて出所するのだが、今度は 外の世界でも世間へ媚びずにはいられない自分がいるのを思い知らされてしまうことになる。しかし、彼は思い出す。自らの力で自由を勝ち取った人物がいたことを・・・しかるに、人生の目的とは「何にも誰にも媚びることなく、心の豊かさを真の希望へと変えてみせる」ことではないだろうか。そして、そういう自分を自分自身に証明してみせてこそ、結果的に自由は得られるもののような気がしてならない。