制度疲労と経済システムの陳腐化

世間で平等は勘違いされている。経済原理からすれば「スキルレベルの異なる 役務やサービスに対して、同じ対価を支払う」のは愚かな行為と言える。つまり、腕が悪い医者に診て貰っても、実力ある医師に手当てしてもらっても、制度が決められていることによって「全国一律 医療費が同じ」という現象は まったく本末転倒ではないか?と誰も疑問に思わないのだ。

お金のある人は、高額を支払っても 腕の良い医師に診てもらいたいに決まっている。それがひいては 裕福な人の資産を吐き出させ、市場に出回らせる有効な手段ともなるはずだ。ゆえに、社会的主義的傾向が強くなればなるほど、不景気になるのは当然なのである。システムの形態によって 現状は自然発生的に作られてくる。だからこそ、システムそのものを変えずして、現状を打破する術はないと思われる次第だ。

奇麗事は嘘であると同時に間違いの可能性も大きいが、現実には嘘も間違いもない。ただ事実そのままである。連鎖していく現状をつぶさに見ていれば、うまくいってるか?おかしいか?は容易にわかるはずだが、おかしいのであれば制度そのものが疲労し、陳腐化しているとみなければならない。つまり、枝葉ではなく、何事も根底から作り直さなければならないのだが、そういった現実直視の姿勢こそが経済人に求められる資質となろう。

筆者の仕事の対価は、タダに近いか高額である。その基準は相手が価値がわかる人物かどうかではない。気に入っていればタダでもいい。少し気に入ってれば高額となり、気に入らなければオファー自体を断るだけである。そして、気に入るかどうかは、相手の意思の問題にかかっている。最初からわかる人などいないので、わかろうとする意思こが重要なわけだ。腕のよい者は制度など当てにしないし常識なんかに准じない。自らの価値を尊重するように、相手の価値を尊重するのである。いいかえれば「自らの価値観を相手にも適応して人生そのものを統一できている」のが哲学ある人物の姿勢といえるのではないだろうか。