健やかさと爽やかさとは

「言葉の意味にどうしてそんなにこだわるのか」と よく問われることがある。
では、人間の【健やかさ】とは何であろう?  辞書を引くと【心と体が正常で言動が偏らず、何事にもバランスが取れていて、すべてが正常に機能した揺るぎない状態】となっている。企業なら「あの会社の経営は健全だ」となるし、これが個人なら「あの人は健やかに育った健全な人物だ」なんて形容されるのだろう。しかし、この表現は適切ではないと考える。

また【爽やかさ】の意味も世間では大きくはき違えられてるようだ。【見た目が清潔感にあふれ、話す言葉がはっきりとして聞きやすくその行動は思い切りがよい】つまり「生き方の美しさを形容した 人の華を表す言葉」なのだが、どうもさっばりしてるとか清々しいといった 上っ面の印象と誤解されてる節が見受けられる。

しかるに人が爽やかと感じるのは、自然に接した時ではなかろうか。自らの考えにこだわったり、ごちゃごちゃとデコレーションしたりするのは自然ではない。つまり見た目も内面も自然に即したものだけが爽やかと形容されるべきものなのだ。

このように世間の言葉に対しての認識は甘すぎるし、おおよそ間違って使われてもいる。これでは会話がかみ合わないのも当然で、これって筆者にとってはとても容認できる事象ではないわけだ。健やかさも爽やかさも正常な状態だが、けして普通やありきたりなどではない。むしろ、普通ではありえない たいへん魅力的な状態なのである。

しかるに 企業にとってだけでなく、人にとっても 健やか かつ 爽やかでいるのは最も難しいことであるとともに、最大の理想とされるべきもの。つまり、自然でいることこそが健全の秘訣であり、一時だって止まっている自然がないように、これで良いとされる健全さなど どこにもありはしないし、ましてや自然に即さない健やかさなんてあるはずもないのだ。つまり健全でいたいなら、つねに変化し、進化し続けなければならないわけである。

したがって 健康でいるために健康的な暮らしを望むのは健全ではない。老後や贅沢な暮らし、企業保全のために蓄財を成すのは いかにも偏った考え方と言えるし、自身のキャリアのために学ぶなんてのも調和がとれた行動とはとても言えないだろう。ようするに、しっかりした状態ではないからこそ、安定を望み、何かを留めようとし、保身ばかりをはかりたがるのだが、それは皮肉にも 健康を阻害するものでしかないと思われる。

健やかさ・爽やかさが 自然に即した生き方から生じるなら、人間が人間の考えで何かを成そうとした時点で、これはもはや健全とは呼べるはずもなく、人の考えとはそもそも自然ではありえないものなのだ。しかるに自然な言動とは言いかえれば、それは変化に基づく常なる成長となるだろう。よって、つねに成長し続ける人や企業が若く美しく、健やかで爽やかに感じられるだけで、これが本来の共生であり新陳代謝の意味ともなりえる。人が人の上辺の認識で言葉遊びするのではなく、自然に即した 自然科学や哲学を元にした言葉を使うようになれば、世間の様相も大きく変わってくるような気がしてならない。