パスカルのパンセ

フランスの数学者・物理学者・哲学者・文学者・宗教家 パスカルが残した覚書きの編集書「パンセ」に、こんな一節がある。「我々の惨めさを慰めてくれる ただ一つのものは気を紛らすことである。気を紛らすことは我々を楽しませるが、知らず知らずのうちに我々を死に至らせる行為でもある。」 天才哲学者であるとともに、稀代の科学者でもあった じつにパスカルらしい人間考察だと感じる。

ほとんどの人は人生に目的を見出そうとする。自らの幸せのために蓄財をなし、身の回りを豪華に飾って何不自由ない生活をしたいと考え、また いつまでも健康で若く美しくありたいとも切望する。しかし皮肉なことに、これらを求める行為そのものが、自らが望むのと正反対の結果をもたらすのだから不思議だ。

もちろん現実的にこういった望みが叶えられるケースは希少である。だから一向に改善されない毎日から目をそらすためにも気を紛らわさなければならない。だが、もしラッキーにも偶然・・すべてが叶えられても、人間としての惨めさからは解放されない。ゆえに それはそれで気を紛らわさずにはいられないのである。いずれにしても結果は何も変わらない。ならば叶っても叶えられなくても、そんなのへ躍起になること自体が意味なき行為と言えよう。そうこうしているうちに、ただ年月だけが過ぎていくだけだ。

人生に目的はない。それはその時々で変わるもの。また裕福で健康で若くて美しいに越したことはないが、べつにそんなのは大した問題でもない。楽しくて面白く興味深い日々が送れるなら、それ以外に望むものなどないはず。過去のことはすべて忘れ、いくつもの異なる 自らが選択できる未来を持ち、退屈しない変化に富んだ今を生きられれば それで良いとも思う。気を紛らわせずにいるなんて、生きているかぎり出来っこないのだから。

何かを成し遂げれば永遠に幸せでいられるなんて嘘であろう。そんなの大人なら、みんな経験上知っていること。誰もが無気力に見える その訳は、気力の源を一時の形に求めるからだ。どれだけ素晴らしい功績を残しても、その高揚感は明日には消え失せてしまう。退屈しない毎日を過ごすにはどう生きたらいいか? それをもっと深く考えることこそ重要である。「止まっている自然はない。自然でないものは生きてはいない。」 すなわち、変わり続ける事! それが生きることそのものにも思える。

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