自らすすんで多くの偏りを経験しよう

人は一人では生きてゆけない。だから、必ずどこかの集団に属する。そして、人間 数が集まれば 何らかの色が生じてくるものだ。それは ときに思想であり、傾向性であり、生き方の類似であったりする。家族・親族・友人・出身校・勤め先など、人は人へ影響を及ぼし干渉しあうものだ。ゆえに自分は関係ないと思っていても、どこかで偏りは避けられない。

経済やマーケット・政治・行政といったマクロな側面だけでなく、生活を成り立たせるための環境として身近なところでも、上記の事象からは逃れられないが、それが人生であり、人間社会の現状でもあると思われる。よって 環境と自分との関係を見誤るとバランスが取れなくなるのも当然かもしれない。「自らを持たないほうがベストの近代」において 現代病と呼ばれるものは、おそらく そのほとんどがここから派生したのではなかろうか。

人が偏りを避けられない以上、これを回避する手段はひとつしかないだろう。それは 「できるだけ多くの偏りを経験する」ことである。無数の偏りを体験すれば、それらが勝手に渾然一体となって、結果としてリベラルに近づくというわけだ。したがって ひとつやふたつのスタンスやキャリアを経たからといって バランス感覚は身につかないのである。ゆえに経済人・政治家・官僚など、現代リーダーたちの問題点は明確だ。それは経験がなさすぎることに尽きる。きわめて論理的に考えれば、彼らがリベラルなんてあり得ないことになる。

安定や継続を求め、どこかで集団帰属意識を持たざるを得ない現代社会において、誰もが一定期間でのキャリアリセットを望まない以上、教育の重要性は益々増していく。学生として すねをかじっている時に、社会保障の名のもとに高齢者が年金をもらえている間に、彼らにきちんとした多様性の経験を積ませねばならない。若者と高齢者が すすんで海外へ出ていくようになるだけでも社会の様相は大きく変わるような気がする。