生活保護と経営

生活保護が話題になっている。今回は 経営とからめて述べてみたい。どこの会社にも、社内には働かない・働けない方がけっこういる。自ら仕事が作れない人も含めれば、厳密にいえば、ほとんどが非収益人員となろう。しかし、会社というものは それでも毎月給料を支払わなければならない。まがいなりにも経営者を経験したなら誰もが「それは生活保護を含めた 社会の在り方といったい何が違うのか?」と感じてるはずだ。

まだそれでも業績が上がってるならバランスは取れる。矛盾を意識するのは業績が落ち込んだ場合だ。現在の制度を踏襲するなら、その際に経営者が取る道はいくつかしかない。金融機関もしくは各種補助金を利用し 借り入れを起こして事態を引き延ばすか? このまま何もせず放置してつぶすか? 是が非でも業績を回復させるか? 価値を見出してくれる他企業に身売りするか? などであろう。

これに関しては、業績悪化の一途をたどる国もまったく同じ。今は 借り入れし続けて、不毛な議論に終始しているが、このままでは行き着く先は、当然 倒産しかない。経済を活性化させない限り、残された方策は身売りしかないと思われる。つまり、IMFなどの国際援助を仰ぐわけである。その際には 間違いなく大幅な支出カットが断行されるだろう。このような流れで、問題は結果的に強制排除されるのだが、要するに マクロもミクロも根底は共通しているということだ。

だが そんな理不尽さの中に長く居続けた経営者には 別の選択という手段もある。それは会社から去るという決断だ。当たり前の話だが 面倒をみるほうにも自由があるわけで、いつまでも義務や情、あるべき論で縛ることはできないし、本来そんなことを期待するほうがおかしいのかもしれない。これを国でいえば、日本に見切りをつけ外国へ出ていくということになろう。

しかるに、目的を変えない以上、ゴールは変わらないから、その過程も想像どおりである。いつも先を見通すべき経営者なら、その辺の雰囲気を感じ取ってるのが普通である。忘れてはならないのは「誰にとっても 権利や義務は守れる間だけ」ということ。どうしようもなければ、そんなの順守されるわけがない。よって どこかで限界が見えたなら、堰を切ってクリエィティブ層の海外移転が始まる。これが人間学における社会風潮の在り方なのだ。いずれにしても答えは決まっている。時間の遅延の先にあるのは、人材の海外流失による空洞化である。これは国にとって、長い時間をかけなければ補えない 最大の損失といえる。答えそのもの・・つまり目的を変えなければ、そこへ至る道筋も変わらない。いつも起こることは起こるべくして起こるのである。

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