変わりゆくことを歓迎する

北海道大学の長谷川英祐准教授の研究によれば、働きアリのうち 経常的に働いているのは3割にすぎず、じつに全体の7割は休んでいるそうだ。しかもその中の1割にいたっては一生働かないそうである。また さらに興味深い事実として観察されているのは、その一団をどのように分け直してもみても、やがては上記の割合で働かなくなってしまうということである。

こういったことは人間社会に関しても同じではなかろうか。要するに、大きな目で見れば、あなたが働けば誰かが働かなくなり、あなたが働かなくなれば誰かが働くわけである。筆者もここ一週間ほど体調不良で 温泉に入っては眠るという日々を過ごしてきて、やっと昨日あたりから本調子に近づいてきた感じだが、休んでいる間、すべての仕事がストップしていたわけではない。しかるに自分がいて何かしなければ 何事もうまくいかないと思うのはたんなる錯覚である。いようがいまいが さほど変わりはしない。これまで作ったり育てたりした会社や団体を すべて他の人にまかせてきたが、みんな それなりに成長しているし うまくやってくれてもいる。いつまでも自分が出張っているほうがそれこそ迷惑な話となるだろう。

国際法を無視して外国人投資家を排除しておきながら「証券市場が低迷してる」なんて嘆く人がいるかと思えば、有罪の人を罰金刑で済ませて、無実の人を収監してしまうような世の中だが、これはきわめて普通の出来事ではないだろうか。人は無用なことばかりする生き物である。その行為が弊害になるとわかっていても誰かを貶めたり、必要のない規制を次々設けていく。そして、やがては やる気を削がれた人々を一定の割合で発生させてしまうというわけだ。そういった生物学上の真実を真正面から大きな目で受け止めれば、何も不思議なことはないはずだ。すべては 自然が最初から設定した目的に従ってなされているのであって、きわめてミクロな人間の勝手な思惑なんて一切叶わないのである。

時代は変わりゆく。世の中のあり方もそうなら、産業もまたしかりだ。だから変わりゆくことを歓迎しよう。それは私たちの好奇心を鼓舞し、興味という名の活力を引き出してくれる。昔を懐かしんだり、過ぎゆく時を惜しむのも自然なら、変化に胸躍らせるのも自然なことなのだ。ゆえに どちらを心に強く留めるかは あなたの裁量に任されている。本来の自由とは、こんなところにこそ あるのではなかろうか。陽はまた昇るが やがては沈みゆく。その一連の流れがあるだけだが、それは けして繰り返しではない。どのように見えるかを決めているのも また あなただからだ。何事もどうでもよいことだと放置してはならない。仕方がないからといって容認してもならない。物事の変化を生み出す元は いつもあなた自身である。よって 何も手を加えず、見て見ぬふりをしていれば、ただ同じ時が流れていくだけだろう。物事全体の飽和バランスが一定なら、自らの手で変わるのか? それとも 社会全体の流れに変えられてしまうのか? その二者択一があるのみではなかろうか。あなたが変わらなくても、社会が変われば あなたを置き去りにして全体は変わってしまう。要するに どちらが先か? の問題だ。ならば、いつも先んじて変わりゆくほうが面白いに決まっているではないか。変化を好んで先んじて変わる。これがまさしく経済であり、デファクト・スタンダードなのである。