美しい音楽のように表現しよう

20代のころから、ライフワークとして、Live空間に身を置くことは欠かせない。常時 ブルーノートやコンサート会場、舞台やミュージカルへも出かけるし、もちろん自身が 人前で話したり、演奏する機会なんかも定期的に作るよう心掛けている。しかるに 語らいとは まさに音楽だと思う。活字に慣れすぎた私たちは勘違いしがちだが、文字の羅列とは「相手の想像力をかきたてるツール」であって、けして「それそのものを感性として伝えるもの」とはなりえない。ゆえに厳密な意味において、それは真の自己表現とは言えない気がするのだ。

論理的に状況を把握してイメージ構築するには、必ず お互いが共通認識を持っている必要がある。たとえば、経済を言葉の羅列で説明するなら、お互いが同程度の経済知識を共有してなければ通じない状況となるわけだ。しかし、それでは日本の言語体系に支えられた日本固有の論理は理解できても、米国のバックボーンから発せられる英語表現を本当に理解するなんてできっこないだろう。

私たちは その言語を理解しなくとも、海外の音楽に感動したり感銘を受けたりする。しかし、それが他言語の小説やニュースならどうだろう? まず 長くは聞いていられないはずである。では もし・・唄うように、美しい音楽を奏でるように話せたら? 難しい科学や経済の話も通じるのではないか。細かいことはわからなくても、少なくとも興味だけは持ってもらえるはずである。したがって、話すことを言葉の羅列と捉えているようでは、語学も身につかなければ、誰かを感銘させることもできないと思われる。筆者は ビジネスで中国や欧米の経済人と接する機会が多いから、なおさら そう実感せざるを得ないのだが、いくら発音に気を付けても、緻密な原稿やプレゼンを用意してきても、音が稚拙では、相手には何も伝わらないのである。挨拶や社交辞令など、誰がやっても同じ。そんなの相手にとってはどうでも良い事なのだから。

では 何が必要か? 楽器を奏でるように、唄うように話すことである。それは グルーブさせるようなジャズファンクか? 優雅なクラシックか? それとも親しみやすいポップスか? いや、それら全部を巧みに組み合わせた 自分だけのオリジナルが必須となる。そして、なおかつ毎回違う 面白いエンタメを演出できるよう、セルフプロデュースもできなければならない。なぜなら、人は それを才能と呼び、個性とも呼ぶからだ。素晴らしい音楽に国籍もジャンルもないように、その人物の魅力も「どんな音を持っいるか?」で決まる。やはり 論理に訴えるより感性へ働きかけたほうが何事も効果的なようである。