森光子さんが他界

森光子さんがお亡くなりになられました。本当に魅力的な女性だったと思います。それは彼女がつねづね語っていた こんな言葉にもあらわれていた気がします。「想い出話はしない。未来の話だけをしたい。」 ご冥福をお祈りしたします。

筆者の周りでも 素晴らしい方々が数多くこの世を去られました。もっと指導してもらいたいこともたくさんありましたが、いまは何かを教えていただいたり、感銘を与えてくださる人物がどこにも見当たらなくなってしまいました。その理由は、誰も彼もが そういった先駆者たちの人生を軽く見ているためではないでしょうか。人は その行いを天才だから、努力したからと解釈し、そこにあった苦悶には目を向けようとはしません。本人が七転八倒して身につけたものを他へ伝えるには、つねに その神髄をいかに簡単にしていくか?が問われてきます。ゆえに まわりの方は「それが簡単だと誤解してしまう」わけですね。しかしながら、そういった簡素化したものの中には きっかけしか表現されていないのも事実なのです。だから それらを受け取る側には、やはり作者の真実を慮るだけの感性が求められてくるでしょう。それはすなわち、相手を自身へ写し込む力なのですが・・・近年は 美学しかなくなってしまいました。このふたつは まったく似て非なるものです。まさしく美学とは その個人の勝手な解釈であって、当事者の真実を写し込む感性とはまったく違うものなんです。だから 自身の理解の枠を超えていかなければ、何事においても成長は望めません。要するに 美学など持ち続けている限り 先には進めないということになるでしょう。

先日も大学生たちと接する機会がありましたが、彼らの話題は就職活動のみでした。それが自分や家族・友人たちのたったひとつの美学だから仕方ないのかもしれませんね。倫理や論理に縛られて 世間が狭くなった彼らが可哀そうに感じられました。企業なんて世の中の一部にしかすぎないもの。したがって それは人生の一部にしか過ぎません。ゆえに就職は、誰もが通るべき ひとつの過程であって、簡単に言えば、近い時期にやめるものでしかないということです。むしろ初めから、キャリアのリセットを目算していないからこそ、すべてがおかしな方向へ行ってると考えるべきなのですが・・・それは理解できない事なのでしょう。

彼らが見習うべきは、うまく就職した先輩でもなければ、便宜を図らってくれる親や教師でもありません。もっと素晴らしい行いを成しえた先駆者たちであるべきです。なぜなら、彼らはもれなく、身近な人たちが固執してるような 小さな美学の世界から逸脱した人物だったのですから。つまりこれは・・・これまでの固定概念や理屈を排除した上で、何を見るかを新しく選択し、そして その選択したものを どう感性で感じていくか? ということになるでしょう。個人の美学など完全に捨ててしまうほうが賢明なのは、彼らの来たるべき未来が間違いなくつまらないものになってしまうからです。大人たちは想い出話はしないように・・・未来の話だけを彼らとしていくべきではないでしょうか。

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