またいつもと変わらない 衆議院選挙になるのだろうか?

衆院選が事実上スタートし、やっとこれで「政界再編の一過程という意味合いしか持たなかった民主党政権」が終わりを告げた。この国の政治に自浄作用がなかったばっかりに、あまりにも長く大きな代償を支払うことになったが、それだけに次こそは しっかりした選択をしたいものである。

しかし、赤字国債の発行を2015年度まで自動的に認める【特例公債法の修正案】が解散のどさくさにまぎれて可決されたり、消費税アップのために掲げた努力目標 名目3%、実質2%の経済成長率を、数字上 達成させる目的で【わざと経済成長率をマイナスへ下方修正して発表した】 政府や行政の行いを見るかぎり、またどこへ投票しても同じあろうとの失望感は拭えない。

端的に申し上げれば、公務員削減・電力自由化・地方への財源と権限の移行・会計処理の国際標準化 そして あらゆる規制緩和などは、自民・公明・民主には実施できるはずがないのである。そもそも選挙基盤や支持層が『そういった政策によって利権剥奪を被る当事者たち』の政党に何かを期待するほうがどうかしているのかもしれない。これは 自動車業界から多額の献金を受けた 米オバマ大統領に「GMをつぶせ」と要求することと同じであろう。

つまり、絶対できない事を期待しているわけで、現状としては、次期衆院選で日本維新の会がより多くの議席を確保しないかぎり、政治の前進も見込めないことになるのだが・・・現時点では、それもあくまで可能性の話である。実際、維新の会でも そういった政策を実現できるかどうかは怪しいものだ。しかしながら、いつもどんな時も可能性だけは追い求めていくべきではなかろうか。そうでなければ、きっと何も始まらないはずである。

毎年恒例・・・今年の年末にも 多くの政治家とお会いする予定がある。彼らと対峙してみて感じるのは、つねに失望感のみだが、それは行政の首長や役人と仕事をする際も同様。彼らには哲学がない。したがって当然 未来もないのである。彼らにあるのは 今。そして、今の延長のみではなかろうか。勘違いしてほしくないのは、これは批判ではないということ。それは当然のことであって、仕方ない事だとも感じているのだ。「ありがたい」とは「あり得ない事象を指す」 ゆえに普通なら、何も変わらないのが当たり前であり、変わるというのは 何事においても過剰な期待でしかないというわけだ。普通であることを攻めても仕方ないのは、どの世界でも共通である。

つまり、政策など 何でもいいしどうでもよいことになる。日本には、それを実施できるシステムそのものが存在しないから、もともとが土台ムリな話だろう。だから、システムを変えられる【文字通り ありえない人物】こそが登場してほしいと願うばかりだ。その可能性があるなら、そういった面白みに賭けてみるのが経営者の姿勢であろう。官僚がアメリカだけを見ているなら、いつか 米本土に巨大なビジネスを構築した人物が日本の財政の中心政策を担い、米国からの逆輸入圧力によって官僚の体質を変えてみるとか。団体利権に一切関係しない 一般の方のみの爆発的支持によっておされた大統領が、すべての団体利権を排除するシステムを根底から新しく作り上げるとか。行政の保護を受けない画期的な街ができて、それが世界の理想都市のモデルとしてブームになるとか。そんなことを想像してみると この上なく楽しくて面白い。あり得ない話かもしれないが、そのほうが、より現実的にも感じられて愉快になる。いつだって、ありえないことが起きないかぎり、現状維持は続いていく。だからいつも 【ありがたい事】を求めてやまない自分でいたいと思う次第だ。