ロボットや人工知能が指し示す 人間とは何か? 

選挙運動たけなわである。当たり前だが、政治家は法律を決める人たちだ。また 経済人とは経済を営む人であり、経営者とは経営を行う人のことである。しかし、これはいずれも「今後の社会や組織のあり方を決める」といった種別の話であって「その社会そのものを形成する人間がどんなものか?」を追求する分野には永久に成りえないと思われる。しかるに、そもそも人間とは何であろうか? 政治経済において、そこは「ブラックボックス」と定義されて久しい。では どの分野がそれを解明し定義しなおしてくれるのだろう? それは科学や技術でしかあり得ないのではなかろうか。

プロダクトデザイナー川崎和男氏のブログに「ロボットの創造が人間とは何かを知る! という発想に、これからのデザイナーの役割が見えてきた気がする。」といった記述があったが、まさしく そのとおりだと思う。ジェームス・ラングの説に「人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」とあるが、それを表現すると こんな風になると動画もつけられている。(音声も音楽も入っていない。無音です。ロボットに感情はないが、その物腰しが いかにも悲しそうに見えるから不思議だ)

人間そのままのロボット開発は「人間とは何か?」を把握しなければ達成されるはずがないように、人工知能も それができた時点で脳の仕組みを解明したことの証明ともなる分野だ。よって、すべては そういった科学技術の進化によって、人間が再定義されるたびに、ただ変遷を繰り返す運命としか成りえないものだろう。ゆえに問題は いつそれが解明されるか・・・そして、その時 今の政治・経済・医学などは何もかも存続できないといった点にある。いずれにしろ 遅かれ早かれ変わらざるを得ないなら、環境に変えられるより 自ら先んじて変わりたいものである。だから 筆者は人間工学の研究者、科学者という立場を崩さない。これまでの経歴も 作り上げてきた企業やシステムも、その立場なら、たんなる実験材料にしかすぎないので、必要なくなれば そんなの手放してしまうのも当然だが、人は なぜ自らを実験の対象にしたり、キャリアを簡単にリセットしてしまうか理解できないようだ。その理由は簡単。人生を実験にしてしまうほど 面白くて楽しく、そしてまた 楽なことはないからである。