時間の流れが異なる 社会と個人

いよいよ今度の日曜日は選挙だ。仕事がら政見放送をよく見るが、いつも感じるのは「人材がいないなぁ」ということである。その原因は火を見るより明らかで【日本では政治家が尊敬されていない⇒当然 政治家に憧れる人が少なくなる⇒力ある立候補者が出てこない】といったスパイラルを起こしているわけだ。こういうのはビジネスの分野でも同様。【この国では経営者が尊敬されない⇒よって優秀な人材が勤め人を目指してしまう⇒結果として雇用を生み出す人がいなくなる】といった具合になる。世間はリーダーたちにスーパーマンのような実力と清廉潔白さを期待しながらも批判を繰り返し、成り手そのものの市場を縮小させてるのだが、これは「自分で自分の首を絞めるがごとき」いかにも矛盾した行いではなかろうか。

しかるに 米国のアンケート調査では、尊敬する人物の上位には、かならず政治家や経済人が名を連ねる。したがって逆に【誰もが政治家や経済人に憧れる⇒優秀な人材はみな ここを目指す⇒結果としてマーケットが生み出される】といった流れも自然に出来上がっているはすだ。それは何も国内だけの現象にとどまらない。米国の有名大学の実情をみれば、米国最大の資産が「世界中から優秀な人材が集まる教育インフラ」であるのは一目瞭然。それが結果として国を支え、米国を世界の中心へと押し上げる現状がつぶさに見て取れる。

このように政治や経済を 人文学や社会学ではなく、自然科学で考えなおしてみると、より全体が把握しやすくなるのだが、せめてマスメディアが 成果を残した人物を正当に評価するようになれば(それが自然な事のように思う)少しは変わるのだろうが・・・それは望んでも仕方ないことだ。なぜなら、バイアスとは それすなわち今の世間の風潮そのものだし、ましてや偏った評価をすると一斉に叩かれるような世の中で、マスコミに自ら進んでタブーに挑めなんて要求するほうが無理な話だ。

したがって 導き出される答えはひとつ。人は否が応でも、家族・友人・社会にあわせて生活しなければならない。だから、それはそれで適当にこなしながらも、もう片方では世情とは無関係に「あくまで個人としての哲学」を培っていくべきなのだ。こういった二面性を 個人レベルで推進していかないかぎり「革新的になれば現在のスタンスが崩壊し、保守的でいれば来たるべき未来においていかれる」 こういった矛盾からは抜け出せない気がする。いずれにしろ いつの時代も、社会は個人より大幅に遅れて変わりゆくものだ。よって【後出しじゃんけん】では、経営や生活を成り立たせるのは難しいと思われる。