語学は言葉でなく音である

ここ三ヶ月ほど、限界を超えるほどの仕事量をこなしていた。もう慣れてきたので簡単にできるし、かえって元気になって活力が出てきたようにも感じるが、やはり このくらい集中できれば、何事も自然に身につくことが再確認できたわけで、今後はさらに時間短縮をしたいものだが・・わかってしまうとそれで満足するのも また人間。つまり、もう仕事は必要ない。という側面もあるのだから、これもまた複雑なのである。

以前しょっちゅう中国へ出向いていた際も、しばらくすると容易に中国語を駆使できたが、べつに それが英語でも、たとえスペイン語やイタリア語だろうと、数か月もあれば通訳なしでビジネスくらいはできるようになるはずだ。したがって あえて事前に語学学習する必要もなく、それよりむしろ、そういった身につけ方自体を習得しておくほうが先決と思われる次第である。

どんなものでも「何か行動を起こす前に」是非ともそういったコツを理解しておくべきかもしれないが、学校の授業のような丸暗記と応用反復は、いかにも習得スピードが遅く、短い人生を有意義に過ごすなんて出来っこないものと考える。難しい事を容易に実践してもらえるようにしてこそのプロであって、やたら理論的かつ難解にしたがるのは、その教える本人自身が理解してない証拠とも言えよう。

具体的に言えば、語学は言葉ではなく音そのものなのだ。長い文章は覚えられなくても、歌なら何年たっても忘れない! こんなのは誰にでも経験があるはずだ。つまり言語を覚えるのではなく、その音を身につければよいことになる。どの国にもその国独特の旋律や音づかいがあるから、クラシックや歌謡曲ばかり聴いてたら聞き取れない音が出てくるのも当然であろう。

普段使わない音が消去されていくのは、もはや科学的に証明されてる純然たる事実なのだ。よって生活の中にもっと複雑で高度な音を好んで取り入れ、さらに口ずさめるよう訓練しておくことが大切であり、そうしておけば、どこの国の言葉でもすぐさま聞き取れるし 口にもできる! と思われる。

これらは何も語学だけにかぎったことではない。Web上や書物にあふれる活字は、最も身につきにくいツールであり、ただ想像とイメージを掻き立てるのみである。だから どんな人物の伝記を読んだとしても、それは実物とは似ても似つかないフィクションにずきない。元々楽譜や記号・文字なんて、たんなるマーケット普及ツールにすぎず、画一化された そこそこの成果を目算して作られた「学習手段としては いかにも遅れたもの」なのだ。

それが証拠に どれだけ楽譜で一生懸命勉強しようと つまらない音楽しか奏でられないのは誰もが承知のはず。すなわち人生にとって最も有意義な方法とは、素晴らしい人物・作品・音・物腰・生きざまなどをライブで直接感じとることであり、その音をきちんと再現できるようにする事! に尽きるのは申し上げるまでもないだろう。