読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

橋下大阪市長の外国特派員協会 会見について

【あげつらう】という言葉がある。『物事の理非や可否を論じたて、ささいな非を取り立てて大げさに言う事』という意味だ。昨日、外国人特派員協会で行われた 橋下大阪市長の会見に関する各種報道機関の論評には、こんな表現がまさにぴったりかもしれない。

テレビも新聞も、一連の発言による政治的な責任をどう考えるか? という質問へ対しての「民主主義の国において政治家の政治的責任は選挙で審判を受けることです。私の今回の発言に対して国民が『NO』と言えば、次の参院選で維新の会は大きな敗北になるでしょう。私自身が代表のままでいられるのかどうなのか、党内で議論が生じると思います」というコメントばかり取り上げている。つまり、これを『橋下氏が代表辞任を示唆』という名目で際立たせたい意図がみえみえなのだ。

チョイスされた 会見後の外国人記者たちの感想も 「印象はすごく悪いね。何回も同じことを主張しているだけ。全く信用できない」(スウェーデン人記者) 「(慰安婦発言について)謝ったんですよ。あの文書を読めばはっきり書いてありますよ。河野談話を逃げ口にしたのはちょっとがっかりですね。最初は歯切れよく答えていたけれど」(ニューズウィーク記者) 「彼は歴史学者ではないから何を言っても歴史は変わらない。これはショーですよ。彼はマスコミを利用するのが本当にうまい」(イタリア人記者) 「(慰安婦について)あの当時軍がやったという文書(河野談話)があったわけですから、彼のこの問題に対しての見解は納得できない」(韓国人記者) といったネガティブなもの限定で、さらには 「女性に関する感覚が甘かったのではないか?もし橋下さんがリボーン(生まれ変わり)できたら男子がいいか女子がいいか?」 という どうでもよい質問さえ殊更に書きたてる始末である。

彼ら記者側は 橋下氏が問いかけた「日本だけが不当に非難されてる現状についてどう考える? あなた方の国に非はないのか?」という趣旨の投げかけには一切答えていない。そういう自らの姿勢は明確にしないで、批難するときだけ主観を持ち出し、声の大きいほうへと ただなびく行為は卑怯と呼ばざるを得ないだろう。

この外国特派員協会の会見場には ある会合でよく出かけるが、もし本当にこんなのが常ならば 意味がないので失くしたほうが良いのではなかろうか。 リベラルってどこにあり、リベラルな人物は世界のどこにいるのか? ただ あげつらうだけが世界のスタンダードなら本当にがっかりである。