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参議院選挙と現実主義

いよいよ参院選が本格化し、各党代表のメディア露出も激しくなってきた。仕事柄、ご本人たちと直接お会いする機会も多いが・・・やはり筆者は自立と自助が基本であり、よって政策も【自立支援と自助制度にしか興味なし】というのが本音である。

その理由は簡単で、自分が何者か? をふまえれば、そうでなければおかしいと思うからだ。企業人たちに指導する場合には「いま実際に起こっている事象から未来を予測して、きわめて高い確率で発生するであろう将来に向けて、何をしていったら良いか?を説くのは当然」であり、それは「こうあるべきだ」「こうなったら良いなぁ」 そして「こうなったら困るから」といった個人事とは別物になるはずである。つまり、これは希望・理想主義ではなく、現実主義ということになるだろう。

欧米の現状では、会社人・団体人といったスタンスは消滅しつつある。この流れはいずれ、きわめて高い確率で日本にもやってくるに違いない。ただ、助け合いや利益の再分配という考え方にも あながち反対でもないのだ。「それは時代や時勢によって変わってくるもの」 つまり、これまでの日本の歴史的経緯においては、既定路線が継続されてきたのも当然であって、そうでなければ うまくはいかなったのも事実なのである。よって、過去に関してはむしろ肯定派と言える。しかし、世界の流れを踏まえれば「そろそろ変更の時期」というのも、これまた事実だから「今後はどのように、少しずつ自立や自助のほうへ舵を切ってゆくか?」ここが問題になってくるだろうし、議論の対象も「その度合いと具体的方策にのみしぼられる」というわけである。

 労働組合や各種団体、特殊法人の存続から、累進課税に、皆保険制度や年金のあり方まで、継続不可能なら、いつかはフェードアウトしてゆかねばならない。むしろ各種規制も制度も変わってゆくのが自然な成り行きであって、変わらぬ自然はないとするのが現実主義の基本なのだ。だから、つねに「いかにして変えるか?」だけがある。

現実とは自然現象だ。不自然にすれば現実そのものにひずみが来るのも当たり前の話で、より大局な視点で見れば、人間ごときが自然に作用しようとする行為そのものが愚かに感じられる次第である。よって、これらの自然をふまえた上で、いかにしてここへ寄り添っていけるか? が焦点となるだろう。

激動の70年代後半から80年代の英国で、女性初の首相を務めた マーガレット・ヒルダ・サッチャー首相。彼女の『鉄の女 The Iron Lady』と称された政治手法には批判も多い。しかし、当時の情勢からすれば、それは是だったのか非参だったのだろうか? 一つだけ言えるのは、決断や断行には ある種の意思と力も必要であり、そこには、その時々の流れがあるということ。今は自民党に時流がある。これが参院選でも継続されるのか?そして、その継続が今後何を生み出すのか? そんな未来の行き着く先を、自然発生という観点で読み解いてゆくことこそが重要ではなかろうか。

マーガレット・サッチャー The Iron Lady  鉄の女の涙

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