プレゼンテーションはデザインである

つねづね申し上げていることに『プレゼンテーションはデザインだ』がある。そもそもMBA用語からして、コーディネイト解釈の連続なので『ブレゼンテーション=コーディネイト』と誤解してても仕方ないのだが・・・現実的に寄せ集めは売れないし、普通は取り上げてもらえないから、コーディネイトだけのプレゼンなら、やるだけ無駄に思われる。

人は斬新なものを実現不可能と決めつけて、何かとありきたりで無難な方向へ流れがちだが、それなら あってもなくても同じなので、あえて提示する必要もないと感じる次第だ。つまり、相手が理屈で理解できるようなプレゼンに意味はないわけで・・・ゆえにプレゼンに論理など不要。むしろ感性対感性の勝負を仕掛けることがプレゼンの本質なのだが、きっと このあたりも理解されてはいないのだろう。

日本では、プレゼンするほうも受けるほうも、重箱の隅をつつくような論議に明け暮れるケースも多いが、これって欧米有名大学の経済講義では最もやってはならない「ご法度」とされている。にもかかわらず、そのような教育を受けた人物が、実際のビジネス現場において 平気でそのような愚行を犯し、文章の一語一句にこだわったりする光景がよく見られるのだ。

スタンフォード大学のマネジメント・エンジニアリング学部で教鞭をとる ティナ・シーリグ氏は学生たちに厳しく言う。「詳細は 後から練り上げればよい事。まずは斬新なアイデアや提案が先。最初から細かい点に配慮するのは時間の無駄だし、意味のないことです」と・・・つまり、詳細は実務屋さんがやる仕事で、優れたビジネスパーソンはデザインが仕事ということだ。どちらになりたいかは、それぞれが決めればよいと思う。

よって、優れたプレゼンターは、提案する相手を選ぶ。少なくとも同等の哲学を有する人物にしか関わったりしないだろうが、さらに考慮すべきは、そういった人物が身の回りにいるかどうかという点だ。おそらく普通の企業や仕事環境では触れ合う機会もないはずである。ただ、だからといって、そのような生活に甘んじていては そこどまり。経験とは恐ろしいもの。そこに慣らされてしまえば、成長も止まるどころか 退化してゆきかねない。よって、自らがすすんで高いレベルの人間へアプローチして、仕掛けていく必要もあるが・・・人生は勝負の連続である。勝つか負けるか? があるからこそ面白いのだ。もしも通用しないなら、相手の知性がなかったか? 自分の実力がないか? のどちらかであろう。ならば、最初の選択を正しくし、さらに能力を養えばいいが、その身につけるべき力とは、もちろんコーディネイトではなく、デザイン力にほかならないと思われる。