中秋の名月に宇宙へ想いをはせてみる

昨夜は旧暦の8月15日 中秋の名月。朝晩めっきり涼しくなったので、夕涼みを兼ねて外を散歩しながら満月を眺めていた。本来はススキを飾り、月見団子や栗・里芋・枝豆などをつまみにして、日本酒で一杯といきたいところだが・・・昨今は、そういった風習もなかなか踏襲できなくなった。自宅へ帰り、いつものようにワインをかたむけ、またテラスで月を見上げていた次第だ。

先日、岐阜県と大分県の約2億1500万年前の地層から隕石の成分が発見された。カナダに最大で直径7~8キロの巨大隕石落下の痕跡がみられるが・・・これと時期が一致しているらしいのだ。当時の地球は、現在のように大陸がバラバラではなく、大きくまとまっていたので、それも不思議な現象ではないとの事である。ちなみに当時の日本って、地質学上は赤道付近の海の底にあったと推測されている。

この2億年前のカナダの隕石で、哺乳類型爬虫類が絶滅して恐竜が出現。さらに6500万年前の直径10キロ メキシコ・ユカタン半島に180キロものクレーターを作った巨大隕石落下によって、地球が寒冷化して恐竜はあえなく絶滅したみたいだが・・・これって、まさに栄枯盛衰ではなかろうか。「おごれる者は久しからず」だが、じつは奢ろうが、そうでなかろうが結果は同じだったりするわけで、じつは人間の思惑なんて、自然とは一切無関係なのかもしれない。

人間は とかく生きることにいろいろと理屈をつけたがるが、おそらく そんなの身勝手な想像の域で、どう考えようと、 私たちは たまたま気候が安定した、ごく短い隙間に住んでいる。宇宙から見れば瞬きの一瞬、人間からすれば長く 気が遠くなるような年月。その奇跡のような狭間の中で、あれこれ妄想を繰り返し、事実を捻じ曲げてきただけに思える。

たまには 空を見上げて、そんなことに思いをめぐらすのもよいのでは?  きっと、すべてがちっぽけに感じられるはずである。もし、私たちが偶然の重なりの中で、たまたま暮らしているのなら、勝手な解釈を繰り返して小さく生きながらえるより、このチャンスを大いに楽しまない手はないと思うのだが。