恥 憚られる事

一般的な恥とは「無恥」を指す。これは恥を恥と思わない・・・つまり恥知らずの意である。要するに「憚られるべき事が何かを自覚しない人」を総じて恥と言うのだが、この憚られる(はばかられる)とは【差し障りがあって ためらったり遠慮したりすべき事・幅をきかして増長し いっぱいに広がってはびこる行為】を指す。

ポーランドの首都ワルシャワで始まった 国連気候変動枠組み条約会議(COP19)で、フィリピンのサノ代表が行った17分間の演説を聞いて涙が出た。「私はフィリピン政府を代表して、もう語ることもできなくなった数え切れない同胞、そして災害孤児たちのために語っている。祖国には食料を探すのに苦労している国民、この3日間何も食べていない私の兄弟たちがいる。私は彼らとともにある。だからこの会議の期間中は一切の食を断つことにした」と語ったのだ。演説終了後、会場はスタンディング・オペーションに包まれ、彼はハンカチで顔を押さえながら頽れていた。

国内へ目を移せば、食品や金融・鉄道・流通など あらゆる業界において詐欺が横行し、それに関する釈明は自己保身のための恥ずべき言動ばかり。身の回りでも、仕事場のひとつがある日本橋で昼時ともなれば、サラリーマンたちが歩道いっぱいに広がって通行の邪魔をする始末。彼らが幅を利かして蔓延る様は、まるで学生のごとき幼さゆえ、じつにみっともない事この上ないわけだが・・・企業を指導する側としては、それも自らの責任であり恥ずべき事に違いない。しかし先人たちがこんな有様を見たらどう感じるだろうか? もはや恥の文化は他のアジア諸国のものとさえ思えてくる。本当に情けないかぎりである。

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