経験とは自ら確かめに行くもの

昨年末から心身の改善へ取り組んでいるが、これに伴って どうしても体に過剰な負荷をかけねばならない場面が出てきた。そこで知り合いの医師や医学博士にも相談した上で、アスリート同様の入念なケアを行うため、東洋・西洋医学問わず あちこちマメに回ってみた。しかし やはりと言うべきか、予想通りと表現すべきか・・・満足な結果は得られずじまいに終わった。当然 フラフラになりながら、日々衰弱していくしか成す術がない事態に見舞われるわけで、あちこち痛いし疲れは抜けないしで、気力体力ともに減退し、これでは何もまともに出来そうもないと感じた次第だ。皆さんがこんな状態と環境にいるならば、やる気がないのも無理はない。

筆者は若い頃に一度だけ大病を患ったのみで、あまり体を悪くした経緯がなかったので、今回はたいへん勉強になったような気がする。目的は 最先端医療の進み具合と、人体科学がどれだけ現場へ適応されているかの見極めにあったのだが、結論としては、技術的なものより、それを実施する側の意識の持ち方や多様性をまとめあげる能力・・・つまり哲学のほうに問題があると理解できたからだ。

もちろん こんな記事を書くという事は、もうすでに「初めからわかっていた方法を使って、自らをケアし元気になった」からだが・・・では、端から解決策を実施できるのに、どうしてこんなまわりくどい手順を踏むのかといえば、それは現実確認のためだ。実践科学の最良の手段は自分自身を実験材料にすることであり、定期的な現実確認は手前味噌へ陥らないためにも不可欠と考えている。

実際に自分の手で確かめてみないものが、すべて「わかったつもり」の思い込みにすぎないのは経済も医学も同じであろう。そういう意味では、この分野でも自身のやるべきことは多い。複数の経営経験がない者にコンサルティングなんてできないように、物事はすべからく、論理ではなく感性を拠り所とすべきものである。よって 経験を待っているのではなく「自ら経験しに行くような積極的姿勢」を維持しないかぎり、人生はきっと陳腐なものへ終始するに違いない。