おもてなしや作法は自分のためにするもの

『誰かの好意でしていただいた事』 に対し、不満を述べたり 不足を訴えたりするのはもってのほかだと思う。いっさい親に面倒をみてもらわず育った身としては、それがたとえ親族だって文句を言うなんて信じられないくらいである。たとえば 「作った食事が口に合わない場合、はっきりそう言ってもらわなければ料理の腕が上達しない」と考えてる女性も多い気はするが、これは明らかな思い間違いではなかろうか。

もし作ってもらった料理が好みに合わなければ、まずはこちらが その理想とする料理を作ってみて、相手に味わってもらうのが筋だと思う。しかしそういったケースでも、謙虚に「こんな味はいかが?」と同意を得ることを忘れてはならないのだ。つまり「〜をやっていただく・していただく」のであれば、それを自分がやって見せられる事が前提であり、もし『やってみせられない』もしくは『端からやる気がない』のなら、それがどんな些細なものでも最大限の感謝の気持ちを忘れてはならないわけである。

対価を払っているとか、月謝をはらっているとか、親子とか・・・それとこれとは別問題。すべての作法はここから始まるように感じるが、それはとりもなおさず、全部 相手のためではなく、自分のためにするものである。自分で自分の将来を見据えるなら、または誰かの行く末を慮るなら社会を教え、自立を促すためにも是非そうすべきではなかろうか。おもてなしとは、すべて相手に対してではなく、自分に対して行うべきものである。経営をしてみればわかるが、こういった観念なくして お客様も社員もついてこないだろう。これがビジネスであり世の中というもの。給料も保障も当たり前ではないし、社会にある何もかもが当然なんてありえない。何かをしていただくということは それだけで【あり得ない=ありがたい】ことなのだから。