自由の意味はスタンスの違いによって異なる

筆者は、事あるごとに よく辞書を引いてみる。たいていの語句には、一般解釈の他に哲学的見方もあわせて併記されてるから じつに面白いのだ。

ちなみに Free・Freedomの意味を、仮に日本語の“自由”と訳して辞書で調べてみると「法律の範囲内で許容される随意の行為。自分の意のままに振る舞える事。勝手気ままでわがままな事。」と出てくるが、ここには やはり、他にも哲学的項目もあって「消極的には、他から強制・拘束・妨害などを受けない事」「積極的には、自主的かつ主体的に自己自身の本性へ従う事」となっている。

つまり 消極と積極の相異点は「〜からの自由」「〜への自由」といったスタンスの違いから生み出される 受動と能動でもあるわけで・・その言葉の意味は【主語を 自らと他】のどちらへ置くかで決まってくるケースが多いのだ。

しかるに、日本においての一般解釈は、消極・受動を示すものばかりで、そこには法律とか、他からの束縛とか、わがままを許されるかどうかみたいな【いわゆる対象そのもの】が必ず登場してくる。しかし 逆に、積極・能動の主語は「I am」しかなく【そこに他は存在しない】のである。

もちろん 哲学においての主語も私しかないので、社会についての見方・捉え方も『すべては私に含まれる、もしくは私と同じ世界』といった科学的解釈に基づくものとなるが、おそらく英語を理解する際に 日本人が首をかしげてしまうのも この部分ではなかろうか。いかにも受動的で『世間に含まれる自分』なんて社会通念を持つこの国では それもありがちな話。『If you love somebody set them free ♪』この歌詞もどのように受け取られているのか。とても興味あるところだ。