マシでなければ元通りなのか

最も避けたいものに「マシ」とか「元通り」というのがある。仕事にしろ、生活にしろ そこはけして目指さないよう普段から心がけている次第だ。「人より良い成績を」「以前の業績まで戻したい」 このような要望を唱える人や企業のコンサルティングは いかにもつまらないと思う。もちろん、そんな話は他人にとって、まったく関係ない個人事なので誰の心も揺さぶらないだろうから、初めから語っても意味なきものに違いないが。

そもそも何故、誰かが作り出した もはや飽和した市場で切磋琢磨せねばならないのだろうか。それは20代前半の方が 社会勉強するための場だと感じるのだ。既存市場で数年を過ごして、ある程度【既存というものが把握できたなら】 今度はまったく新しい事を次々手掛けてゆくのが本筋。そうしなかったら、人は絶対に飽きる。そして飽きてしまえば、嫌になるしモチベーションもあがらないに決まっているわけで、元来ストレスって、同じことをしてる、もしくは元に戻そうとするところから生じるものではなかろうか。それは新しい事をしている時の苦悩とは 種別が異なるものである。ゆえに、マシにも元通りにも意味はないし、目指すなら、デファクト・スタンダードしかないと思えるのだ。

たとえば、日本橋あたりでお昼時に、ポケットへ手を突っ込んで肩をいからせながら集団で歩くサラリーマンたちをよく見かけるが、そのたび「なぜ、この人たちはそんなにふて腐れて恰好をつけねばならないのか」と感じてしまう。第一わざわざ こんでる時間帯に一斉に食事をとる必要なんてどこにあるのだろう。そんなの好きな時・おなかがすいた時に取るのが普通である。取引先の関係があるから、業界ごとにお昼休みの時間を少しずつ変えるとか・・・そういう小学生みたいなマシの議論では埒が明かない。それではフレキシブルタイムが機能しなかったら お昼休みは同時間に!という元の木阿弥へ戻ってしまうだけである。

このように 何事もマシにしようと試みるが、それが機能しなければ元通りにするのが世の中。しかし政治経済のみならず、暮らしにおいても こういった議論や思考は役に立たないはずだ。朝・昼・晩と同じ時間に、同じように食事するのが健康の秘訣なんて 非科学的な常識に基づいた縷言はいい加減やめたほうが良い。今日は昨日と同じじゃない まったく別のものなのだから。それを無理やり同じにしようとしてるからこそ 健康だって害されてしまうのだろう。

これは習慣やシステムのことを述べているのではなく、そういった意識と行動こそが一事が万事として、弊害を生み出すという意味である。マシとか元通りさえはずせば、他の方策だって無数に見えてくるはずだ。限定とは 思考の過程にあるのではなく、もっと前・・・その最初の前の段階こそにある。ゆえに思考を始めてしまう前に これまでの常識そのものを疑うことから始めていかねばならないだろう。こういった事は よほどきちんと自らを見つめ直す習慣をつけていかないかぎり難しい行為に思えるが、ただ、この辺に言及していかないと、マシと元通りの循環からは永久に抜け出せないことも確かなのである。