舛添要一東京都知事とソチオリンピック

雪の残る東京で、舛添要一東京都知事が誕生した。小泉元総理の演説のうまさ以外(内容の是非は別にして)みるべきところもなかった今回の選挙だが・・・これで石原都政改革前の古い政治へ逆戻りといった印象が強くなった。また、2014ソチ冬季オリンピックも始まっているが、こちらも開会式や選手入場をみてると、政治色というより目を覆いたくなるような人間世界の歴史背景が思い浮かんできて、いつもながら いたたまれぬ気持ちになってしまう。

理想が高すぎるとか、数十年先を行きすぎなんてよく言われるが、それでもずっと多くのギトギトの業界をなんとか泳いできた。個人的にはずっと以前から経済に対する価値観など失っているのだが、まわりのこともあり、あわせてきた経緯がある。ただそれも、この春で 晴れてすべて卒業できることになった。本当にうれしいかぎりだが、社会的な仮面を脱いで一個人になったら、政治や経済からは離れ、研究やソーシャルワークだけに没頭したいと考える次第だ。※このブログのタイトルも変更しないと。

いずれにしろ、しがらみがあるのはたいへんなこと。政治家はもちろん、事業家・スポーツ選手や芸能人にしろ、あれこれ何らかのバックボーンがあり、現役でいる以上ここからは逃れられないはずだ。ストレス満載というよりは、あれこれうっとおしくて仕方ないと思われるが、それでもいつかは引退の時が来る。よって しがらみがなくなると同時に何もできなくなるようでは、最初の目的から設定間違いをしてたと言わざるを得ないだろう。

人はいつも変わりゆくもの。まわりは常に変わらぬことを求めてくるが、それは公私ともに意義がない話である。ましてやここに年齢など考慮されるわけもないが、最低でも自分の人生は自ら目的を決めてすすんだほうが良いと思われる。どんなに周りに尽くしても それはたんなる経過にすぎず、最後は誰でもひとりになるからだ。これはまぎれもない事実だが、いろいろ経験を重ねてくると(若い頃とは異なる意味で)社会より個人のほうが大きくなるのは自然な事のようにも感じられる。