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過去の整合性を破棄せねば未来の合理化は得られない

いろいろなニュースを目にするにつけ、今更ながら1947年(昭和22年)に実施された「農地解放」の影響は大きいなあと感じざるを得ない。もちろん いま流行のものについても、いまだ政治的背景は見え隠れしてるが、それが数十年後の世まで 間接的・直接的に影響を及ぼすと想像しただけでぞっとする。

過疎化や福祉と、電力・インフラなどの関係は別問題ではない。当然 それらは財政や政治経済に関しても言えること。つまり すべてにおいて同じ根を持つ同類の話なのである。もしも“これら過去に施行してきたもの”を、すぐさま新しい形へと組みなおせたら「どんなに楽だろう」と思ったりもするが・・・そうなれば、あらゆる問題も いとも簡単に解決されてしまうに違いない。

これは会社の再生にしても同様で、じつは解決策を見出すのはそれほど難しいことではない。むしろたいへんなのは、過去の慣習を払拭できない点にこそある。『人は合理的じゃない』とよく言われるが、じつはそうではないと感じる。むしろ現在と過去について合理的すぎるのだ。そのため未来へ対する整合性が見えなくなっていると思われる。

何事においても現在のスタンスなど あまり問題にはならない。経済で常識とされるバリューとか強みとかアドバンテージを生かそうとすればするほど、道を誤るのが人の常だからだ。そういう意味では、過去について理屈をこねるより、未来に対しての整合性へ注視してゆくほうが肝要であろう。そのためには、ときに過去に関する合理性や整合性は無視してもかまわない気がする。枝葉とは 過去とのつじつま合わせを指す。いつも幹にあるのは未来のみである。