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医師であるか? 科学者であるか?

ある方から、先日もまた ラスムッセン症について尋ねられた。そのことについては、以前にもこのブログで書いた次第だ。

「ラスムッセン症候群で右脳を摘出した少女たち」 

こういった事実には、たくさんの発見がある。しかし、そこには同時に「多くの論理的例外が付加されて、症例が積み重ねられてきた。」そんな時の経過とともに “通説が変遷してきた” そんな現状も見て取れるはずだ。

人にはたいてい「あきらめがつきまとう」ものだし、ここを前提にしながら善処法を考えたりもするわけだが、はたして本当にそれでよいのだろうか? もしもそうだとしたら、もはや科学など成り立たないのは言うまでもない。

今ある処置の中でベストを施すのが医師なら『未知を追求して、不可能を可能にしたいと願うのが科学』よって、お互いの立ち位置もおのずと180°異なってくるはわけで・・ならば一般の方はどちらを選択するべきなのか? これはもちろん哲学の違いでしかないわけだ。

しかるに『科学に確定した未来など存在しないし、現在から推測できる未来もない』 としたら、いつだって希望はあるはずだ。そして、その有無は あなたが科学者かどうかで決まってくるとも思われる。

これはきっと経済にしろ生活改善にしろ同様だろうが、そう考察すると、経営や生活を科学することこそが重要であり、常識の中にビジネスの芽はないし、ましてや生活の面白さなんて見つけられはしないとも感じられる。希望がない事を理由づけて正当化するのは簡単だが、希望がないのを前提(目的)として事に当たるなら、それは何も達成できない未来を確定する行為に他ならないのだから。