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頭の中にある時代遅れ

私達が子供の頃に言われてた常識も、今ではずいぶん様変わりしている。現在の教科書では「鎌倉幕府の成立は《1192年 いい国作ろう》ではなく1185年とされてる」し、一説によると “聖徳太子も架空の人物だった” となってるらしいのだ。

これと同じように ●暗いところで本を読むと目が悪くなる「多少、目が疲れるだけ」●薬を飲んで早く風邪を治せ「風邪の諸症状はウイルスを排泄する作業。むやみに症状を抑えない方が良い」●食後はすぐに歯磨きしろ「食後すぐの口腔内は食べ物の酸や糖分で酸性に傾き歯のエナメル質は弱っている。この状態で歯磨きすると歯の表面を傷つけてしまい虫歯のリスクを高める」なんて話もあるわけだ。

物の見方にはさまざま見解がある。よって、学説や研究成果にも諸説あって当然なのだが・・どうも日本社会はそうでもないようだ。学者やメディアは、まだ推測の域を出ていないものを “いかにも真実のように語る” 傾向があり、それに准ずる形で世間も意味不明の糾弾をしてる様が顕著に見て取れる。

ちなみに、訳あって最近はもう一度、一から医学を勉強してるのだが・・この業界はそういったことの典型とさえ言えるかもしれない。人体についての見解にも諸説あるのが当たり前。くわえて、日々新しい仮説も紹介されてるのだから、こんなのその都度変えてゆかねばならないし、どの時期のどの学説をチョイスするか? ですべてが根底から覆されたりもするはずである。

もちろん、医学については、医師関係の学会内にとどまらず、いわゆる科学の世界でも研究発表は頻繁に行われてるわけだから、もはや科学では当たり前の事も、医学では知られておらず、両者で完全に矛盾する事態も多々発生してるのが現状だ。

医学書を読み進むにつれ、科学的常識がまったく反映されないどころか、まるで30〜50年前の “現在は完全に否定されてる” 事象さえ確定的に明記されたりしてるから、これは驚きに値する。要するに、これを勉強して何の意味があるのか? 前提からして矛盾してるが、これっていったいどういう事なの? との疑問が拭えずに、なかなか先に進めないのが現状なのである。

いったん提示した事を「間違っていた」とわかっても訂正しないで、何とか誤摩化せないか? とするのは、人間の悪い癖。形上、権威ある世界なら、それはなおさらだろう。けれど、真のプライドとはそんなところにはないはずで、プロ意識には、訂正する勇気や非を認める素直さも必要。ましてや それが人の健康や生死に関わる業態なら、意味不明の個人事・業界事など一切排除すべきが道理であろう。

研究者なら、自らと世間に対する相対的価値ばかり考えず、人としての価値をどう定義すべきか? もあわせて自らに問いかけ続けねばならないはず。医学と経済。自分と世間。業界と政治。そのように何かと何かを対比し、相対的に把握するような古典物理は時代遅れであり、ここに生きれば自らも時代遅れとなるに決まっている。医学関係者なら、医学と科学の両方に精通すべきで、それも古典物理と量子科学のどちらもつねに勉強しておかねばならないのは言うまでもないことであろう。