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縄文人のライフスタイルに学ぶ

最近とくに《縄文文化の研究》が盛んにすすめられてるようだ。ローマ帝国は数千年で、近代社会なんて たかが数百年にすぎないが、縄文文化は、じつに1万5000年も続いたそうで、こんなのは世界中どこを探しても見つからない極めて希有なケースと言えるだろう。

春は山で山菜を採り、夏は海や川で魚を。秋は作物を収穫して冬は狩りをする。くわえて 数千年間に渡る定住の痕跡が発見されたり、さまざまな装飾品を身につけ、芸術性に富んだ土器での “煮込み料理” などもしていた! とくれば・・その対応力・臨機応変さ・変化の多様性・オシャレさ・グルメぶりなどが、研究者の興味を引きつけずにはおかないのだろう。

そもそも人類の歴史は争いの連続だから、それゆえ長く続かないのも頷ける次第で・・農耕のみに従事してた民族は気候や天災などに左右され、あまり豊かではなかったとされるが、それは狩猟専門の種族についても言えることだ。つまり、貧しさは不安となり・・そういった安定への渇望が他の物を奪い合う日々を生み出す! といった構図が見え隠れするわけだが・・振り返って 現代社会はどうだろうか? もちろん分業・役割分担・現状維持を前提とした 相互扶助が基本となっており、その暮らしぶりも、景気の動向などに大きく影響を受けるものとなっている。

よって グローバル社会になればなるほど、ますます英国のタックスヘイブンに代表されるようなブロック経済や原油利権・武力の大小・金融システムの優位性なんかが促進されるのも仕方ないことだ。もちろん世界がそうである以上は、私たちの一般生活においても、学歴やコネ・利権・既得権益などが不安解消の術とされるのは避けられるばすもなく・・さて、この延長に未来はあるのか? これが進んだ社会なの? と問われたら ???とならざるを得ない。

しかるに、もし都市や国のモデルとすべきものは? と考えたなら・・1万5000年と数千年・数百年。どれが良いか? もちろん一番長く続いたものに決まってるはずだが、実際は、縄文人と近代の生き方はまったく逆なのである。研究者の中には「これは今後私たちが目指すべき最も優れた文化体系ではないのか?」と驚いてる方も多数いるようだが・・さて、AI時代を迎える私たちにこれから必要とされるのは本当に専門性なのだろうか? 科学が進んだ現在 “最近の過去” だけでなく、遠く “いにしえの過去” からも学ぶべき材料はどんどん出てくるような気もするが。