トルコでクーデター報道

トルコでクーデターが起こったようだ。首都アンカライスタンブールには兵士と戦車が現れて 夜通し爆発音が鳴り響き、国会が爆撃を受けたり、民間人や警官が多数死亡。TV局占拠やアジアと欧州をつなぐボスポラス海峡に架かる橋が封鎖され、軍が市民に発砲との報道もある。こうした動きに対してエルドアン政権は、クーデターの試みは失敗すると断言したり、支持者に対して路上へ出て抗議するよう呼び掛けているが、いまだ首謀者が誰なのか? 何の目的でこれが行われているのか? などの詳細については不明とされている。

予想通りというか・・やはり、今後は何が起こっても不思議ではなくなってきたようだ。これまでにもトルコでは1960年・71年・80年と過去3回のクーデターが勃発しており、そのたびに軍が権力を奪取してきてるのだが・・事情通からは「なぜ今なのか?」との声が絶えないわけで、この点からも、ちょっとこれまでとは異なる背景が透けて見える気がしてならない。

エルドアン大統領の弁によると「平行国家とペンシルベニアによる暴挙」との事で・・これは明確に『米ペンシルベニア州を拠点とする政敵、イスラム教指導者フェトフッラー・ギュレン師について言及したものとみられる』が、いやはや・・やっぱりトルコは昔から “はっきりものを言う” のだなぁ〜とある意味、感心される次第である。つまり、彼の言葉を借りれば「米国も関与した 政治的な目論見」ということなのだろうが、事の是非は抜きにして、ここまで以前から明確に欧米を名指しで批判する国もめずらしい。やはり、そこには “世間で言われてるような 作られた歴史” ではなく、事実と史実に基づく“本当の歴史”およびこれらに深く関与してきたトルコ人の気概というか、魂のようなものが表れてるのではなかろうか。

ただ あくまで、どちらが正しくて 何が良いのか? といった真意は別にして・・日本で同じようなことが起こった場合に、市民が これに反対して通りにくり出すか? については甚だ疑問に感じざるを得ない。以前にも『海難1890』という映画に関することで記事にしたが、トルコは稀にみる親日国であり、その原点はお互いの精神性に対するリスペクトにこそあるのだが・・はたして今の日本人に、トルコの方々と同じような気概が存在するだろうか? そして、それはトルコの人たちからリスペクトされるようなものと成りうる代物なのか? については、あまり自信はない! のが本音である。